一銭職由緒(基晴図入り)
“History of Barbering” panel
江戸時代から各地に伝わっている伝承資料で、鎌倉中期、亀山天皇の頃、京都の警護役人であった藤原基晴は宮中で紛失した宝刀の行方を求めて、その子、采女亮と共に髪結の業を営みながら諸国を探索した、とある。
彼らが没したあとの子孫は髪結を業としていましたが、采女亮の17代目は、元亀3年(1572)、遠江の三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れ、帰陣する家康の軍勢が、大雨で満水となた天竜川を渡るのを助け、その勲功で銀一銭を賜った。また「一銭職」の名前を許され、諸国通行勝手という許可書を得た、とある。つまり髪結業が職業として公式に認可されたわけで、事実、江戸時代までは髪結職は「一銭職」と言われていた。
| タグ | |
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| 年代 | 江戸 |
| 分類 | 資料 |
