理容ミュージアム

藤原采女亮図(ふじわらうねめのすけの図)

Portrait of the Uneme-no-Suke

理容業祖・藤原采女亮を描いた像。右手には理容師に必要な道具である剃刀を持っている。
鎌倉時代、御所の宝物係として亀山天皇に仕えていた藤原基晴卿が、宝剣を紛失した責任をとり諸国行脚し、文永5年に下関に居を構えました。その三男の采女亮が生計のために髪結職を始めたのが理容業のはじまりとされている。
采女亮は新羅人から髪結い技術を学び、結髪所を開きましたが、店の床の間には采女亮が敬う天皇をまつる祭壇があったため、この店のことを「床の間のある店」、「床場」、「床屋」というようになり、下関から全国に広まったといわれている。
諸説ある中で、采女亮は建武2年(1335)7月17日に没しましたが、昭和初期の頃まで、全国の理容・美容業者は敬髪と始祖の冥福を祈るため、毎月17日を定休日としていた。

タグ
年代 江戸
分類 資料